第1席 (2008年 掲載) 解説

 昭和58年夏、筆者が初めて吉丸慶雪師範とお会いした、品川体育館での一日講習会と、「徹身」を経験させて頂いた経験談を記させて頂いております。

ここでは、筆者が入門させて頂くまでを記しておりますが、当時、吉丸師範のご指導方法は、「まず秘伝を教える。その後、それが秘伝であると気付けるようにする。」(師伝)という方法でした。
入門から程なくして、筆者が勝手に命名致しました、「一寸の手」をご教授頂きましたが、これは、筆者自身も全く力感を感じなかったものですから、「これが大切だよ。」とお教え頂いても、「これはチカラなのだろうか。」という疑問しかありませんでした。
漸く、「一寸の手」が非常に大切である事に気が付いたのは、まったく最近になってからで、筆者の愚鈍ぶりに自ら嘆いております。
「私も師から、『あの時これは教わった、と気づくときがあるよ。』と教わったが、君もいつか、同じように思うときが来るよ。」(師伝)

                                                               2017年 5月 3日
第一席 

筆者が吉丸慶雪先生に初めてご教授頂いたのは、手元の帳面をみますと、昭和58年夏の事となります。
東京都の品川体育館で、先生の一日講習会があって、参加させて頂いたのが始まりです。
当時、空手を学んでいた筆者は、いろいろな技術に興味があって、先生のご著書にある、「日本武道の
当て身、徹身(とおしみ」 という技術に強く魅かれ、参加させて頂きました。

当 日、先生は後半にみえるとの事で、前半は、当時副師範をされておられた、T師範の教授がありました。筆者は、教えて頂いた事は極力、ノートに記す事にしており、この講習会の内容も書き綴ってあります。
前半には「発気法」、特殊な腕立て伏せ、四股などをご教授頂きました。後半になりますと、吉丸先生が
お見えになりました。初めてお目に かかる先生の 印象は、「大きい人だなぁ」というもので、背筋を伸ばされ、それでいてどこにもリキみのないお姿に感嘆し、それから先生の小手の太さに驚嘆致しました。

吉丸先生による後半の教授は、まず、会議室での理論講習から始まりました。
武道修行のために「使用」とそのための「学習」をはっきりと分けて、「学習」では「使えない」事が重要となる、空手道の 「三戦」という型の意味などのお話を頂戴しましたが、お話の途中、 吉丸先生が、
「うちの先生が・・・」とおっしゃった事があって、「当会には、吉丸先生よりも上の先生がおられるのかな。」と、想ったものです。さて、いよいよ道着に着替えての技術講習が始まりました。

合気拳法の講習ですから、実際にご説明を頂き、型を直して頂いたり、 相手を置いて対練などをして、最後に、「では、当て身の基礎の基礎をやりましょう。」と、「当て身」を見せて頂く事となりました。では、相手は誰にしようかという話になって、「空手をやっているし、若い から。」と、他の参加者の方々が推して下さり、筆者が受けさせて頂く事となり、準備を始めました。

参加者の方々が後ろから支えてくださり、さらに、お腹にまんが週刊誌の様な雑誌を二冊ほどあてて、とにかく全力で身構えました。トンっと突いて頂いたのですが、これまで受けた事のない感覚で、それまで受けて来た突きは、まさに「ハンマーで殴られる」様に、お腹全体に鈍い衝撃を受けるものでしたが、
「当て身」では、お腹の一点から 腰部の一点に向けて、まるで反応できないレーザーの様なものが貫く感覚で、瞬間、「これ以上深く突かれたら危ない」と感じながら、全く反応できないまま、後方に倒れました。「痛い」「鈍痛」「衝撃」ではなく、 まさに、「貫かれる」感覚でした。
その後、拳の握り方、腕の力を使う方法などご教授頂きましたが、そのときは、「力を抜くほどよい。」というお言葉の意味が、筆者にはまったく 理解出来ないで、ただただ、不思議なばかりでした。

「今度、練習を見に来たらどうか」というお言葉を頼りに、後日あらためてお伺いして、入門させて頂き、それから、昭和61年末に一度中断するまでの、初期の修行が始まりました。


     

        
(昭和58年夏 品川体育館での一日講習会の記録(一部を抜粋:清書版)

                                                          相顕舎の庵 第一席 了 



庵Top
                                                                                                                    Iori top