第11席  段階的訓練法

 筆者がある道場で指導をされている方から伺ったお話です。 「我々は指導する立場にある者として、100伝えたいと想い懸命に 指導しますが、60受け止めてもらえれば、まず上出来だと考えます。」  熱意のある指導者は、その熱意と想いゆえに、一所懸命に指導され ます。 受け手はこれもまた指導者の一挙手一投足を見逃すまいと見つめ、 聞き逃すことの無い様に説明に聞き入ります。受け手は、その時点に おいては多くの収穫を得て、指導者にそれを披露します。が、指導者は それを確認すると、どうも自分の熱意と指導に見合った収穫では無く、 自らの指導力不足を嘆く事となります。  ここに、「100伝えた者と60受け止めた者」の間に在る、「届かない 40」を観る事が出来ます。  先述の指導者は、「届かない40」の存在を認識されているだけ、指導 者として経験を積まれている方だと謂えるのではないでしょうか。 「届かない」分は、再度指導すれば良い訳です。  得てして、指導する立場にある方とは、技量、人物共に秀でた方で あると考えますが、初めて指導の任に当たるとき、その方は「指導者と しては初心者」となります。道を志されたときは初心者であった事を 考え、大いに先輩から学んで、そして、自らを磨き続けられて、素晴らし い「指導者」に成って頂きたいものです。  ここで、吉丸慶雪先生が採られていた指導方法をご紹介します。

 吉丸慶雪先生の著作「合気道の科学」(ベースボール・マガジン社)の 旧版、134頁に、「手解き片手捕り」という技が示されてあります。筆者 が初めてこの技をご教授頂いた際の注意点は、 「掴まれたら指先を伸ばす」 「腕を円相にして進み、テコの理ではずす。」 という所に有りました。それまで、合気系の本を読んだり、演武を観る事 があっても、実際に体験した事が無かった為、所謂、重量物で鍛え上げ た筋肉を使用しないで、円相の力を使用する技を初めて識り、大いに 感動し、すっかり面白くなってしまったものです。  二つの注意点について、身に付いて来た時点で、135頁の内容を、 「実はこうするともっと小手を抜き易くなる。」とご教授頂けます。ここに 到って、この技における「体の使い方」と「小手を抜くコツ」を習得する ことになります。 そして、この技自体が、習得のための「基本技」と位置づけられている 事を理解します。  吉丸先生は、「段階的訓練法」と謂う事を仰っておられました。 「最初にコツから教えると、体の使い方が疎かになる。一段目で体の使 い方を習得して、二段目でコツを教える。」 「『自分は出来ている』と思うと、その人はそこで終わってしまう。」

 真っ直ぐに打ち出したつもりの球が、実は若干方向を違えており、そ れが為に長距離進んで到達したときには、目標点がら大きく外れてしま うのと同じ様に、初め、即ち「基本の習得」「正しい習得」が必要である、 と謂えるでしょう。  一見、初歩的で簡単そうに観えるこの技に、「指先を伸ばすタイミグ」 「円相を使う」「テコの理」「小手を抜くコツ」と、多くの技と基本があり、 ただ、解説を受けずに型を真似ただけでは、それらは習得出来るもの では無いのではないでしょうか。  そして、この「段階的訓練法」は拳法においても採られており、ゆっくり ゆっくりと型を繰り返す訓練は、一見すると全く武術として使用出来ない 様に考えられがちですが、それに依って「正しい身体操法」を身に 付け、最速で動作しても「正しい身体操法」から外れない体を造り上げ ます。ゆっくりゆっくり、静かに型稽古を繰り返している様でも、意識を 隅々まで届かせて、正確な動きを体得しようとしている訳です。 また、その型自体も、実戦的に観えない場合がありますが、一つの型 を修得したとき、その型の「変化型」を御教授頂けます。試合でも、得て して技は、稽古時よりも小さくなってします場合が多く、それ故に必要 以上に大きい動きで稽古する事と似ています。 「実際に使用する技術」と、その為に「学習する技術」 は、異なる場合が多いのです。

 後年、先生の御著書で筆者も助手として参加させて頂く事となり、 その際、「正式に投げている写真を撮る」事、つまり、一枚一枚、場面に 合わせて動作を止める撮影方法ではない写真を撮る事になって、筆者 が投げて頂く事となりました。動きの中で撮影して頂く訳ですから、 何度も何度も投げて頂き、プロカメラマンの素晴らしい技術もあって、 筆者にとって、宝物とも謂える写真が出来上がりました。筆者は受けを 勤めさせて頂いているなか、投げ技の、一つのコツを識り、改めて一つ 一つの事柄を着実に身に付けて行き、スピードを上げても正確に 行える体を造る、「段階的鍛錬法」の素晴らしさを実感したものです。 (第11席 了)



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