第16席  異種格闘技のおもいで

『column』でも触れさせて頂きましたが、ここ暫くは体調を壊して、杖を使用しておりました。
幸い、痛みもなくなり、完治へ向かっており、運動も再開し始めております。

体調を壊してからここまでの過程で、いろいろと気付かされました。その一つは、当たり前の事ですが、『準備』という事です。ロングスパンとしての準備として、入念なストレッチ、
準備運動の大切さがあり、ショートスパンの準備として、瞬間で、活動する『体』へ変更する事の大切さを再認識致しました。若い頃の、体力の慣性で、ここを怠り一気に全力を
発揮できる、と考えていたことが、この体調不良の一因でもあります。

体の不調をチェックしながら、「この体調の場合に闘うときは、どの様にすればよいだろう?」なども考え、実際に購入したり使用するつもりはありませんが、
可能性として、杖のメーカー様に「時代劇であった、『仕込み杖』って現実に扱われていますか?」と問い合わせてみたのですが、「傘を仕込んだ杖はあります。」との事でした。

つらつらと闘いの際の作戦を考えていると、筆者が学生だった頃を思い出しました。
筆者がまだ10代の頃は、大変なプロレスブームで、アントニオ猪木選手の異種格闘技戦や、タイガーマスク選手の華麗な試合に酔いしれたものです、後楽園ホールでの観戦の際は、充分に魅力のあるテレビ観戦とは、また違ったライブでの魅力に、友人と大いに盛り上がりました。

格闘技好きの同級生が多く、「異種格闘技戦」が流行っていたこともあり、必然、「一番強い格闘技とは!?」という話題が多くなっていました。(ただ、現在考えますと、その
当時、中国拳法をされていた先輩の仰った、「どの流派が強い、ではなく、その流派で努力している人間が剛い」、というお言葉が正しいのかな、とは考えております。)

ここで、当時筆者自身が見聞きし、また、実際に手合わせ、と申しますか、他の競技を経験させて頂いた、当8時の感想を述べさせて頂きます。
なお、当時はまだ吉丸慶雪先生の許へ入門はしていない頃です。

〇柔道
筆者自身、本格的に武道を始めたのは、中学入学時に始めた柔道です。黒帯を頂いておりましたので、受け身の心得もありました。高校で柔道の授業時(当時は柔道の授業
がありました。)、柔道部の友人に教わったたのですが、後ろ襟を掴まれた瞬間に巻き込まれて、畳に叩きつけられました。その友人からは、「大丈夫か?高校の柔道では巻き
込み技だってOKなんだから。」と教わりました。当時、中学柔道では「巻き込み投げ」「双手狩り(タックルの様に両腕で相手の両足を刈る)」「関節技」「締め技」などは禁じ手でした。
柔道家に後ろ襟を許した際の凄さを教わりました
また、柔道部の先輩との試合のなかで、「これが『締め』だ」と締め落とされた事がありますが、「活」を入れられて意識が戻るのですが、筆者が気が付いた際の、先輩の安堵した表情が忘れられません。「締め落とし」などは、「活を入れる」技術がある事が前提であり、絶対に素人が行うものではありませんので、ご注意下さい。

なお、吉丸先生の許に入門後、腕を首に巻きつける方法ではなく、襟を掴み、お互いに立ったまま、正面から頸動脈を締める技をお教え頂きましたが、この際に受けた苦痛と恐怖は、今でも忘れる事が出来ません。

〇レスリング
当時、レスリング部の選手の身体を観ると、まさに芸術品のような身体でした。均整のとれた筋肉に驚かされたものです。やはり柔道の授業の際に、「これは絶対に強い!」と
掛かって行ったのですが、クラッチ(後ろから両腕を回され、前方で手を組まれる形です。)されたあとは、まあ面白い様に上下左右に振り回されました。この、体軸の強さには
驚かされたものです。

〇剣道
剣道をされている方との闘いですが、竹刀などを持って掛かって行ったわけではありません。当時の筆者も、そこまで無謀ではありません。

「剣道のなかには、こういう技もあるんだよ。」と教えて頂いたのですが、やはりレスリングの「クラッチ」の様に、後ろから両腕を前に回して、「みぞおち」の前で両手を組みます。その後、腕で直接的に締めるのではなく、瞬間、腕の力を抜いて背筋の力で締め上げる、というものでしたが、瞬間で呼吸が苦しくなってしまいました。

ただ、この時教えて頂いた技、腕の直接的なチカラを使用するのではなく、腕のチカラを抜いた瞬間に背筋力を伝達させるという方法、また、その背筋力も瞬間で最大に引き出す方法、これらが大変に後学の参考となりました。

〇ボクシング
「敬愛するスポーツ選手を挙げてください。」と問われた際、筆者はその一人に間違いなくマイク・タイソン選手を挙げます(筆者がタイソン選手と同年代だから、という訳からでは
ありません)。タイソン選手のプロデビューからタイトル奪取までの試合を数回、テレビで観る機会に恵まれましたが、あのパンチ力とフットワークは、「度肝を抜かれる」
という表現が正にピッタリでした。

ボクシングとは本来、両の拳で殴りあう競技であり、かつては「ベアナックル」、ほぼ素手に近い形での殴り合いだったかと存じます。それだけ素朴な競技を、ルールを進化させ、グローブを進化させ、選手管理制度を進化させ、これだけの洗練された競技にまで昇華させた事実、ここに筆者は一ボクシングファンとして、敬意を表さざるを得ません。

さて、筆者が中学生だった頃、大変に実戦が強い、いまで謂う「路上ルール」で強い、と評されている同級生がいました。この方がケンカをした際のステップワークを観て、「おそらく、ボクシング経験者だな。」と観じておりましたが、ある日、たまたまこの方が実戦をしている現場に遭遇しました。人気もないなか、相手と対峙されていたのですが、「そうか、
う~ん、君の言い分も解る様な…。」と言いながら下を向いて歩き出し、自分の距離になった瞬間、きれいにフックを決めて見せました。その瞬間、相手は膝から崩れ落ちて、この一撃で勝負は決しました。このパンチ力には、大変驚かされたものです。

さて、ここまでいろいろな格闘技術の素晴らしさに触れさせて頂きました。では、現在、自分が闘う際にはどうするのか、と問われる事もありましたが、筆者自身は、裏技としての
『制敵術』の芸術性よりも、表技と謂われる『活人術』の研究に軸足を置いておりますため、特に申し上げる事はございません。

ただ、「切先三寸」という言葉があります。多くの方が時代劇に持たれるイメージは、お互いに刀を構え、切り合う姿かと存じます。では、体力が衰えてしまったかつての強者は
どのように体力に秀でた若き術者と闘ったのでしょうか?ひとつの伝承によりますと、その戦闘方法の一つは所謂、「秘伝」とされていたそうです。「秘伝」とは、「この技さえ使用すれば、相手を打ち負かせる。」という「技術論」もあり得るのでしょうが、「戦闘方法」であり、その為の「鍛錬方法」だった様です。

そして、剣術の流れを汲む柔術の秘伝の一つが、「前に出て相手にくっつく」事だそうです。体力に勝る相手と、正面から打ち合っても、いずれ追い込まれて敗れます。そこで、
相手が一太刀抜いた瞬間、打ち合う事なく相手にくっついて仕舞い、刀の「切先三寸」、すなわち刃先から約10センチを使用して、、相手の頸動脈を切ります。これが一つの、
体力的弱者が用いる護身のための戦闘方法です。もちろん、現代社会では刃物を持ち歩く事は法が許していない様ですので、実際には相手の関節を取ります。

そして、その為の練習方法、所謂「前へ出る」ための練習方法こそが秘伝である、との事でした。ただ、この練習を体育館などで行っていると、「あれが実戦で使用出来ると思っているのか?」と嘲笑された事もありますが、ただ、結局は吉丸先生の仰るとおり、「練習技は実際に使用するためのものではない、「使用」と「学習」は分けて考えなさい。『急がば廻れ』というだろう
弱者のための戦い方、練習方法があるんだよ。」という事でした。

ここまで、多くの格闘技について観てきましたが、競技や同意の許での闘いのなかで、絶対にやってはいけない闘い方があります。
少し、グロテスクと感じられる表現もありますので、所謂、「デオドラントな方々」、「表現」をみて「ショックを受けてしまった!」と感じてしまわれる方は、この先はお読みにならない方が良いかと思われます。


まず、人体の4大急所と言われる弱点は、人体の正中心上にあります。ここを攻撃する事は、武道に於いても禁じ手とされている事が多い様です。
その、4大急所を攻撃してはいけない事はもちろんの事、さらに、絶対に攻撃しては不可ない場所があります。それは「眼」と「脊髄」です。これらを攻撃するとき、それは
完全な自己責任で、且つ、自らの人生を賭ける場合のみと、個人的には考えます。

ここでは、実際に「眼」を攻撃した人物の話をさせて頂きます。

筆者の、中学生の頃の知り合いに、A君という人物がいました。A君は取り立てて勉強やスポーツが出来る訳ではなく、目立つ存在でもありませんでした。
このA君が、ある日、突然に実戦に目覚めました。当時は実戦に強いと一目おかれた時代でした。A君は「強い」と言われる同級生たちにケンカを売り始めたのですが、あまりの豹変ぶりに本人に聞いたところ、「眼を殴れば勝てるんだ。」との事でした。

ある日、A君はやはり「強い」と評されるB君と実戦をして、他の生徒が観ている前で、B君の眼を殴りました。B君は決して自分から乱暴な事を仕掛ける人物ではなく、スポーツ
万能な筋肉質な男性で、勉強もでき、他の生徒にも大変気配りしてくれる様な、他の生徒の手本になってくれる様な人物でした。このケンカもA君が一方的に売ったもので、ほかの生徒は男子、女子ともに「B君がかわいそう」と話していました。

ここからは断片的な事実になりますが、

筆者たちも当時は決して優秀な生徒ではなかったので、たまに職員室に呼び出され、先生に竹刀で思いっきりお尻を叩かれる事もありました。一緒に叩かれた友人や、叩いた先生、また、それを観ている周囲の先生方と、叩かれた後は一緒に大笑いをするなどして、所謂、「のどかな時代」だったかと存じます。そんなある日ー。

二組のご両親が職員室を訪ねていました。一組のお母さまは焦そうしきった表情で、涙すら流されていました。そこに、つい先日、ケンカをしたA君とB君が呼ばれ、皆、生活指導室へ入って行きました。
「先生、何事ですか?」と聞いても、このときばかりは一緒に笑い合っていた先生方も、口には出されませんでしたが、「聞くな」という表情で、我々も何も聞けずにいました。

次にA君とB君を見たのは、美術室への移動時間です。廊下や階段を使って移動するのですが、暴力を振るったA君が、被害者のB君の手を取って、移動の路を案内して
いました。
どうもB君には路がうまく見えていない様子でした。そんな中、B君が一言、なにか言葉を発した様子でしたが、その瞬間、A君は号泣しながらB君の前に崩れ落ち、跪きました。我々はなんとなく見てはいけないのかな、と察し、その場を通り過ぎました。

B君はあからさまに、A君に殴られた事で視力を落としている事が観てとれました。この時、もしかしたら手を引かれているB君が、「A君、もういいいよ、僕は君を許す。」と言ったのかもしれません。ただ、「A君、ますます僕の眼は見えなくなってきたよ。」と言ったのかもしれません。その言葉を筆者たちが知ることはありませんでした。A君が学校に来なくなったからです。

そのころ、A君はすでに、他の生徒から避けられていました。男子生徒からは「関わると一方的に暴力を振るわれる可能性がある。」「眼を殴る卑怯者」と言われ、女子生徒から
は「気持ち悪い人」「B君みたいに勉強とスポーツに努力する事もしないで、暴力に逃げた男」と言われていました。その後、A君を見ることも、A君が話題になることもありませんでした。これが、A君の欲した事の代償だった、という事です。

「武」という言葉は、「矛を止める」という意味だそうです。筆者たちも学生の頃、とにかく強さを追い求めました。ただ、追い求めた「強さ」にはルールがあった、という事です。その中で闘ってこそ、尊敬されることもあるのだという事です。

まだ学生の頃に、尊敬する、とある武道の先生のお話しを伺う機会がありました。「そりゃ、若い頃は分かり合えない相手は殴ったよ。」わくわくして聞き入る筆者たちに、その先生は仰いました。「でも、いまは分かりあえるまで話し合うね。お互いに禍根や因縁を残さないやり方でね。」

筆者の、いま現在立っている、この道程の所在地で、筆者自身、少しは成長できて来たのだろうか、と省みる時間も増えた、この頃でした。





(1980年代  演武会にて  左側筆者)


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