chapter2 「合気揚げ手」
「合気揚げ手」とは、何と不思議な名称でしょう。
私たちがイメージする、合気道に於ける華麗で美しい技には、「投げ」や「極め」などを連想させる名称が冠せられている様です。
では、「合気揚げ手」とは、一体どの様な技法なのでしょうか?
現代のネット社会では、「合気揚げ手」(「合気上げ手」)を動画サイトなどで確認する事が出来ます。
この技法は「大東流合気柔術中興の祖」と称される武道の大天才、T先生がその講習会の始まりに講習会参加者に掛けておられた技と謂われています。
【ちなみに、当時の講習料は10日間で10円で、当時、教員の給料が6~7円といわれるのですから今なら少なくとも30万円くらいではないでしょうか。きっと、相当に厳かな講習会だったのではないかと、想像してしまいます。こうした講習会に参加され、現在にその技法を残して下さった先人に深く感謝して、技法を大切にしなければならないのではないでしょうか。】
筆者も「当時の合気揚げ手」を識る先生の講習を受けられた方から、「この様にされていたそうです。」と、教えて頂いた事があります。この、原初の技法につきましては、外形上に随分と特徴が有るものでした。
T先生のお弟子で吉丸先生の師であらせられます、やはり武道の大天才、S先生はこの技法を深化工夫をされたとの事です。原初の技術に観られる外形的特徴に着目された流派もあれば、「小手の力」の使用法に着目された流派もあった筈で、これらの「技法伝承の歴史」の過程において、いろいろな技法への解釈が生じたものかと推察致します。故に、「諸々の解釈其々が正しい。」と考える次第です。
【こちらの、「原初の揚げ手」につきましては、筆者も同門生から教えて頂いた立場ですので、他の方と共有した事は御座居ません。ご興味のある方は講習会などをお探しになって体験されてみてはいかがでしょうか。】
なお、T先生におかれましては昭和16年に柳津温泉にて病に倒れられ、意識朦朧のなか横臥されたまま右手を掴ませて「合気揚げ手」をされた、という伝承が御座居ますが、その際にはまた異なる外形的特徴が観られたそうです。
T先生、S先生という偉大な大天才の存在には驚愕するばかりです。
筆者のような平凡人はそれこそ微に入り細を穿つようにお教えを頂かなければ到底理解出来ない、またはそれでも理解出来ない様な事柄でも、普通に出来て仕舞う大天才の境地で観える景色とは、一体如何なるものなのでしょうか。
後進のご指導に当たられる方々に於かれましては、後進の方々の内には、筆者の様な「平凡人」もおられる、という事をお忘れなく。
chapter3 「合気揚げ手」の意義
「合気揚げ手」の意義につきまして、外形上第一義の目的は、我手首を掴んだ彼腕が、スルスルと上に揚がる事にあります。
なお、合気において、何故手首を掴む事から掛け合いが始まるのか、という点につきましては、諸説が有って、其々が参考となる有力な説かと存じますが、この様に小手を掴んで、後進が「上手くできているか」を確認してあげる事、所謂「小手調べ」をしてあげる事、手首を掴む事で相手と「相の型」、つまり「表裏」の体勢を形成し、骨格の使い方を伝える事、そして大東流の特徴的な戦闘技法であると謂われる「掴み手」、所謂当時「大東流電気柔(やわら)」と評された技の初手が手首を掴む事から始まる為、といった理由も在る様です。
さて、「合気揚げ手」の練習を通して、「手先への力の集中」という事を学びます。
吉丸先生のお教えによりますと、
「手先への集中力とは、脚部、腰背部の伸張力を腕を通して手先に流すこと。腕は本能的に力むので、腕の屈筋の力を抜いて伸筋を用いる。その為には、意識を使って訓練をする必要がある。」との事でした。このお話しにつきましては、吉丸慶雪先生著 「合気道の科学」(ベースボール・マガジン社) 58頁より、詳細な記載がございますので、ご参照願います。
筆者が初めて「合気揚げ手」に触れた昭和58年頃は、「大東流合気柔術」「合気揚げ手」という名称は、ほぼ一般的に識られているものではなく、力一杯掴んだ積りが、するすると腕が揚がってしまう、という事について大変不思議に思ったものです。
(なお、当初は「合気揚げ手」につきまして詳細なご説明は無かったかと記憶しておりますが、若しくは筆者がご説明に反応出来なかっただけかも解りません。なにせ当時の筆者といえば、「力とは重量物を挙げる直接的なパワー」という認識に凝り固まっておりましたので。)
そして、それ以上に、吉丸先生の「チカラ」の剛さに驚嘆致しました。吉丸先生は身体も大きく、腕も大変太かったのですが、この「チカラ」が腕から直接的に発生したものではなく、何処か別の所から発生している「チカラ」である事が何とはなしに認識出来ました。ゴツゴツとした直接的な「力」ではなく、「柔らかいチカラ」という感想です。ただ、その「チカラ」が何処から発生しているのかは認識出来ませんでした。それが腰背部であり脚部であった、という事です。
この、「合気揚げ手」の練習を観ていた武道経験者の方がご親切に、「なにか両腕を掴ませて上に揚げる練習をされている様ですが、両腕を掴まれたら相手の腹部もがら空きなのだから、前蹴り一閃、蹴り倒せばいいんじゃないかな?」とアドバイスを下さった事があります。
この方はそのまま首を傾げながら背中を向けて去って行かれました。
筆者も一時期陥っておりましたが、人間、自分が理解出来ない事を目の当たりにすると、どうしてもそれまでの経験と物差しで「名」をつけて理解した気になりたがる様で、結果、その事の正しい「正体(せいたい)」を捉える事も、「新しい世界」を識る事も出来ない、という、大いなるチャンスを失してしまう事態に陥る場合が有る様です。これが「武道修得法」における「自分の、既存の技術に取り込もうという考えではなく、まったく新しい技術を学ぼう、という姿勢が大切。」というお言葉の意味なのでしょう。
外形上、ゆっくりと腕を揚げているだけの様に観えながら、「腕の円相は保てているか、腰背部の力は正しく小手へ伝達されているか、動作する事で余計な力が発生していないか、彼(取り手)の力とぶつかっていないか。」などの確認点を常に確認しながら動作している訳で、この方も揚げ手の静かな動作中、ふっと先生方が”へたっぴ筆者”に、「はい、また力んだ。」「ほら、力がぶつかった。」と何度もご教示されている様を確認されておられれば、また別のご認識に至られたのでは、と考える次第です。
「へたっぴ筆者」で思い出されるのが、やはり「チカラの伝達が阻害される大きな要因のひとつは、
”力む(リキむ)”事」という事です。「本能的に力む様になっている腕を、いかに意識の力で力まない様にするか。」この教授過程を、次の章から観ていきましょう。
余談ではありますが、この当時の筆者と言えば、「合気揚げ手」について、どうにも上手く出来ず、また、深く理解も出来ずにいて、所謂「スランプ」に陥っておりました。
ある時はあまりにも呑み込みの良くない筆者に呆れられた先生が、「またリキんだね。ここの使い方が違う様だね。」「解りやすくこう説明しているけれど、本当はこういう意味なんだけどね。」と、独り言の様に呟かれるのですが、とにかく筆者は、解らないなりに懸命に、伺ったお言葉をノートに付ける事は忘れずに行っていたものです。
筆者自身、自分で漸く技法の理解が進んだな、と思えた時期は、当相顕舎の活動を初めた頃です。当時は筆者一人で無料講習会なども行っていたのですが、ここで「合気揚げ手」を行う場合、「揚がらない」という事はあり得ては不可ない訳ですから、もし揚がらない様なら相手の足甲を踏み潰してでも揚げる、という気持ちでしたので(勿論現在はその様な考えは御座居ません。)、筆者も懸命でした。
更に体(たい)が深化したな、と感じたのは、他のページでも申し上げました通り、腰を傷めてからの回復期です。もう、武道やスポーツは出来ないのだろうか、と随分と落ち込んだものですが、「傷めて動けないならば、動く部分を動かしてやれ。」と、且つてお教え頂いた練習に打ち込んだのですが、これが大変な効果を齎してくれました。興味深い事に、入門時一番最初に教えて頂いた型が大変に役立った訳で、「初め」に始まり「初め」に戻った、という事です。
・・・次ページへつづく(←次ページへはこちらを選択)