chapter3 付録:大きく構えて。
          「球の世界」を「天球の世界」に展開してみたら


  



 渡り鳥は何故、海洋を渡って、正確に渡り先へ辿り着けるのでしょうか。
精密な機器も持たないのに。

 牛や鹿は、食事の際など、その体を南北方向の軸に沿わせる、という研究結果があるそうです。
コンバス(方位磁石)も持たないのに、南北が解るそうです。

 渡り鳥や牛、鹿などの動物は、地球の磁場を感知して、定位を行っている、といいます。

 しかし人間は、方位磁石やGPSなどに頼らなければ、自ら方角を定める事が出来ません。

 「鳥類には紫外線が視えている。」といいます。
しかし人間は、機器を利用しなければ、自ら紫外線を感知する事は出来ません。

 磁場も紫外線も、人間は自ら体する能力として、それらを認識する事が出来ませんが、それらは間違いなく、この地球に
存在しております。
 筆者は本文中、「地球に存在する事象の内で、人間に影響を与えていても、人間が認識出来ない事象があるのでは?」
と述べました。

 ここで、夜空を観察(みつ)めて、天球の星々に想いを巡らせてみましょう。

 私たちがとても身近に感じている「月」。
地球の海洋で起きる現象の一つ、「潮の満ち引き」には、月の引力が関係していますが、人間は「月の引力」を自ら感知
する事は出来ません。海の深いところの水すらも動かす巨大な力が、人間にどの様な影響を与えているのかを、自らの
個有の能力として、識る事が出来ないのです。


 地表から観て、朝は太陽が登り、夕方、陽は沈みます。夜は月が人々を見守り、そして朝、月は眠り太陽が希望を連れて
人々を照らします。
 この営みが、遥かな昔から繰り返されており、そして私たちが眺める月は、古えの英雄たちが眺めた月そのものです。

 そして太陽系の惑星は、それぞれ影響し合って、太古から悠久の営みを繰り返しています。
 この、地球にも影響を及ぼす星々の運行、悠久の運行を、「天球」と呼んだとき、
「天球の運行」が地球自体、地球に生息する人間に影響を与えている、そして既述の通り、人間個有の能力としてその事象
を認識出来ない場合が確かに有ると考えたとき、どれだけの影響を人間は「天球」から受けているのだろうかと、想いを
馳せざるを得ません。

 若しかすると、これらを認識出来たとき、理論では解き明かされていない「第六感」や所謂「占い」といった事柄も、理論と
してその正体(せいたい)が解き明かされ、誰もが正しく体得・使用出来る様に成るのかも知れません。

 「天球」の内にある地球に生息する者で、「生・旺・墓」(生まれて旺(さか)え、そして滅する)と謂う宿命を遁れられる者は
ほぼ、ありません。

 「天球の運行」は「悠久」である、と認識致しましたが、この寸分の相違も生じない運行を定めた存在の偉大さ、その無限の
力に、驚嘆せざるを得ません。何せ人間の思考法や宿命すらも、この「天球の運行」の内にあると言っても過言だとは思われ
ないのですから。

 そして若し、人間がこの「天球の運行」がもたらす、現在では未知である事象の一端でも正しく認識出来たとき、そして
その認識方法を体系化して正しく向かい合ったとき、「天球の運行」からその計る事の出来得ない偉大な力の一端を授かる
事が出来るのではないでしょうか。

 それでは、いろいろな事象を正確に認識するためには、何が必要となるのでしょうか。

 「天球の運行」から影響を受けているのは「肉体」です。「肉体」で受けた影響を「頭脳」が感知します。人間の思考方法が
「天球の運行」の枠を出るものではない、とはこの事象からの考察です。

 言い換えるのであるならば、都合の良い事に「肉体」が受信した影響を、「頭脳」は感知出来る訳ですから、この能力を
研ぎ澄ませれば良い訳で、その為の積極的な手法は、逆に「頭脳」からの指令を瞬時に「肉体」が表現する鍛錬を積む事で、
尚、「頭脳」と「肉体」の、即ち、アンテナとしての「肉体」と、果てしない情報を蓄積し、活用する「頭脳」の関係を、より深く
磨く事が肝要なのではないでしょうか。

 その為の最も優れた鍛錬方法が、以前にも申し上げました通り、

「目的を持って、その目的を実現して、更に進化し続ける為のスポーツ」

です。


 野球であれば、「狙ったポイントへ寸分違わずに投げ込みたい。」「こんな変化球が理論上は投球可能な筈なので、修練して
体得したい。」という目標、サッカーであれば、「常に狙ったポイントに蹴り込みたい。」「こんな角度でボールをゴールへ蹴り込む
事は理論上可能なので、修得したい。」と、「目標を設定してその実現の為に意識を持って鍛錬する事」を弛まずに続けて
いれば、「肉体」と「頭脳」の関係は、より強固なものになるかと存じます。

 お薦めしたい運動は、筆者の立場では、やはり「武道」です。

 相手の動きを読んで正確に技を仕掛ける様は、まるで「肉体を使用したチェス」です。自らの身体のみならず、密着した相手の、
筋肉の動きを感知して自分と相手の身体をコントロールする事で、結果、感覚を研ぎ澄ます技術は、体術独特のものです。
そして、絶えず動き廻る相手の急所に、的確にヒットする為に行う日々の突き蹴り、正に、狙って針の先の様なポイントに
千変万化の打突を繰り出す練習は、「頭脳」からの指令を「肉体」が瞬時に表現する、という、「頭脳」と「肉体」の関係を研ぎ澄ます
ものであり、この研ぎ澄まされた関係は、「肉体」がキャッチした情報を、「頭脳」が正確に認識する能力を、更に高めるものかと
存じます。

 なお、「スポーツはちょっと苦手…。」という方には、

「『頭脳』が設定した目的・目標を、『肉体』が瞬時に正確・的確に表現し、なお進化する。」

事が充たされれば良い訳ですから、日本舞踊やダンス、書道、楽器演奏なども良いかと存じます。


 若しも人間に、渡り鳥や牛、鹿の様に地磁気を感知する事が
出来たなら



 この能力を、動物はおそらく、本能として受け継いでいるものかと思われます。

 しかし人間は、この能力を認識し、究明し、修得方法の体系を整え、他者へ伝達し、磨き、磨き合い、更なる向上を実現する事が
可能です。何故なら人間は、それだけの叡智と、「言語」を持つからです。

 よく、「AI脅威論」が聞かれます。確かに人間が、例えば、「地磁気認識習得法・初段」を何処かのネット上で発表すれば、AIは
この情報を瞬時に検索して、正確に提示してくれるでしょう。

 しかし、体系を踏まえて、「初段」からAIが独自に、「二段」へ昇華させる事は、鍛錬を積み錬成し、「二段」の境地に至った、「人間」
が何処かのネット上で発表しない限り、難しいのではないか、と現時点では考えます。
何故なら、AIは「アンテナ」たる「肉体」を持たない為です。

 私たち人間は、誰しもが平等に陽の光を享受し、地球の上で、「球の運行」「天球の運行」の影響を受けながら活動しています。

 そして私たち人間は、「アンテナ」たる肉体が受信した情報を、頭脳で認識して、叡智により体系化する事が出来ます。そして
「言語」に依り、他者へそれを伝達する事が出来ます。結果、これまで「神秘」とされていた事象が、誰にでも「使用可能な技術」と
なり得る可能性すらも有る訳です。

 「生まれた生命に無駄な生命はない。」と謂います。
累々述べました通りに、一個人一個人それぞれが、可能性を秘めた存在です。大切な事は、どれだけ他者に嘲笑されても、
貶められても、罵られても、「正しい道」をただ只管に、愚直なまでに、追求して征く事ではないでしょうか。
短いスパン、「その場限り」ではなく、長いスパンで観るならば、いつか他者を貶める事だけが生存意義となった人々を置いてきぼり
にして、遥かに遠い場所を、心技体を満たされながら邁進する境地に達した自分に気が付くのかも知れません。

 そして更にその道の先を観たとき、そこには偉大な先人・先達が歩まれた足跡を認める事が出来るのかも知れません。
この、「正しい道」を歩き続ける事、それを「活きる」と謂うのではないでしょうか。

 現在考えますと、すべての「活動」の源泉のひとつは、「健康」です。
どうか皆様におかれましては、お体を自愛なさって、現在健康な方は、確固と病の予防にお努めください。健康を害されておられる
方は、まずはお医者様から適切な治療をお受けになられて、健康回復に努められる事をお薦め致します。

 「正しい道」を邁進するとき、その活動は輝きに包まれています。そして誰もが、その様に成れる可能性を秘めている存在である、
と筆者は考えております。

(R6・4・20)

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